西之京周辺のフィールドワーク

受講生の北岡沙映です。

10/2(土)に北野天満宮御旅所で西之京瑞饋神輿保存会の荒田匡さんに、今年のお神輿の説明や荒田さんが作られた人形細工、ずいき祭継承への想いなどのお話をお聞きした後、御旅所を出発し、三枝先生にご案内頂き、田中先生と受講生3人で西之京周辺のフィールドワークをしました!

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(1)ここは、「北野天満宮御旅所」です。

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この場所は12世紀末に書写された「天神記」にその所在が確認されることから、

これより以前から西之京に所在していたと考えられます。

また、現在に至るまで西之京に住む人々の信仰の重要な拠点となっています。

この御旅所にずいき神輿が飾られていました。

 

(2)この場所はかつて「瑞饋神輿」の歴史とともに歩んできた神人の家・川井家住宅が建っていた場所です。

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上の写真がかつての川井家住宅の姿です。

このお宅は、紙屋川の西側に位置し、応仁元年(1467)に建設された、京都市内で最古の住宅であり、応仁の乱が起きても燃えなかったという言い伝えが残っていた建物でした(この写真の右側に応仁当時の棟があったそうです)。

これだけ歴史的な建物ですが、文化財としての指定・登録がなく、京都市の協力を得ることができなかったことから、元所有者が不動産開発業者に売却し、解体工事が進められ、マンションに変わってしまいました。

この建物を「もの」としてではなく「ここに住み続けてきた証」として保存し、残そうとしていた住人の方の無念が感じられます。

西之京の神人の人々、またその地域と歩んできた歴史ある建物だっただけに取り壊され、その建物が保存されることもなく、違う形になってしまったのが非常に残念です。

 

(3)ここは「安楽寺天満宮」です。

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この場所はかつて「七保」の御供所の筆頭「一之保」御供所でした。

御供所の発祥の地として非常に重要な役割をもつ場所です。

また、安楽寺天満宮はかつてほととぎすの彫物を納めていたことから、

「ほととぎす天満宮」とも呼ばれました。

また、安楽寺天満宮には「不動石」が祀られています(下の写真)。

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この不動石は、西之京神人たちが文安の麹座の合戦(1444年)に敗れて、

木曽福島(現在の長野県木曽町福島)に逃れる際にご神体を第四の保の北側の竹林に埋め、その目印として置いたといういわれのある石です。

 

(4)ここは、「西之京瑞饋神輿保存会集会所」です。

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この場所で毎年9月、夜19時から20時半までずいき祭のお神輿を作る

夜なべ作業が行われています。

西之京瑞饋神輿保存会の方々はこの場所を「会所」と呼んでいます。

 

(5)ここは北野天満宮の北側に残された「御土居」です。

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御土居とは天正19年に京都全域を囲い込む形で構築された惣構(そうがまえ)のことをさします。堀を伴うことも多く、「御土居堀」とも呼ばれることがあります。

御土居豊臣秀吉が京都を城下町化するために設けたと考えるのが共通理解となっていますが、江戸時代になると次第に洛外と洛中の往来の不便さから、撤去される例が増え、現在では数カ所しか残っていません。ここはその貴重な遺構です。

京都の西側の一条以北の御土居は、北から南へ流れる紙屋川に沿って設けられていますが、一条以南の御土居は紙屋川の流路から離れ、西側に向かって大きく屈曲しています(「御土居の袖」と呼ばれます)。西之京地域はこの屈曲部分でちょうど東西に分断される形となっており、豊臣政権による西京神人の支配と「袖」設置とを関連づける学説も示されています。

 

今回、実際に夜なべ作業に参加することはできませんでしたが、

西之京瑞饋神輿保存会の佐伯会長や荒田さん・清水さんにずいき祭に対する思いをお聞きすることができ、また、三枝暁子先生からずいき祭をはじめとした西之京地域の歴史について学び、現地を歩いて実際に確かめることができました。

私自身、このずいき祭のお神輿を見たのは初めてで、

お神輿を実際に間近で見たとき、1点1点が非常に精巧に丁寧に作られており

農作物や海産物で作ったとは思えないくらいの美しさに感動し、非常に感銘を受けました。

改めて西之京の方々が受け継いだ農作物や海産物に対しての「感謝」の気持ちを実感することができるお祭りであると思いました。