甲の御供(かぶとのごく)
受講生の森田梨菜です!
ずいき祭3日目の10/3(日)は中世の時代から西京神人が行ってきたとされている甲御供奉饌を見学させていただきました。
14時に御旅所にて神饌の奉納や祝詞奏上が行われました。(※例年は15時からだそうです)
(奥に(左側)に北野天満宮の神職の方々、手前に(西側)に神人の関係者が向かいあって並んで立っています。)
「甲御供(かぶとのごく)」とは?
神饌(神様へのお供えもの)の1つです。
1.赤飯を甲の形にし、菊の花を挿しているもの
2.栗を奉書紙(楮を原料にした和紙)で包み、四隅を水引で結んだもの
これらが神饌として、奉納されるものです。
赤い丸、1 青い四角、2
「かぶと」と聞くと、鎧、兜を想像します。しかし、この甲は想像しているのとは少し変わった形をしています。間近で見てみてくださいね。
また、「甲御供」は「桂川の戦い」に由来しています。
「桂川の戦い」とは?
大永7年(1527)に起きた室町幕府12代将軍足利義晴・細川高国の軍勢と細川晴元・三好元長の軍勢による戦いです。
京都に三好元長の軍勢が攻めてきたのですが、西京神人が足利義晴を助け、撃退することができました!
その功績を将軍から賞されたことを契機に、3月3日、9月9日に「甲の御供」と勝栗を御前に供えるようになったのが、始まりです。
実際に奉饌のときに神人の代表者がとなえる祝詞には、桂川の戦いでの西京神人の活躍を讃えるというような内容があります。加えて、「神人の家内」「子孫の八十連」の安泰を祈るという言葉も出てきます。
私の耳にも、「大永七年」「七保の組」「9月9日」「桂川の戦い」「足利義晴」という言葉が聞こえてきました。
また、「桂川の戦いの勝ち」「大永」「供献ル」(そなえたてまつる)という言葉もしっかりと聞こえ、神饌が供えられる背景となった内容が祝詞の中で詠まれているということがよく分かりました。
身近に祝詞を聞く機会があまりないですが、わからないまま祝詞を聴き流すより、内容を知った上で、祝詞を聞く方がしっかりと意味を理解できますね。
神輿に目を引かれてしまいますが、3日目の甲御供奉饌もずいき祭の正式な儀式なので、こちらにも注目してみてください!